高清水のこだわり 美味しい酒を造ることへの追求

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高清水の歴史

高清水の由来

高清水の銘柄の由来について

今もこんこんと湧く霊泉「高清水」と観音様
今もこんこんと湧く霊泉「高清水」と観音様
弊社は昭和19年、秋田税務署管内の24名の酒造家が企業合同し発足致しました。その後終戦とともに企業整備に関する復活条件が緩和され、離脱する酒造家が相次ぎ現在12名の構成員にて営業しております。その折り戦後新体制の中で、弊社も心機一転新たに酒銘を懸賞公募致しました。5,037点の応募の中から、秋田市寺内大小路(通称「桜小路」)に今もこんこんと湧く霊泉「高清水」にちなんだものとして選ばれました。
羽州街道を古四王神社から左に大小路を入り、旭日長者の名残の槻木を過ぎると、亀甲山四天王寺東門院の跡が右にあったそうです。その向かいに「高清水」の泉があり、安置されている観音様に三回合掌するのが決まりとされていたそうです。
寺内地区は秋田での文化発祥の地であります。「続日本記」の天平5年(733年)の記録に「出羽柵を秋田村高清水岡に遷し置く」とあり、この出羽柵が国指定史跡「秋田城」であります。以来平安末期まで約300年にわたり、当時の日本の最北端の城郭として勢威を示しました。最盛期には兵五千、馬千五百の兵力を持ち、出羽の国府も置かれて、多賀城鎮守府(宮城県)と並ぶ東北二大拠点の一つだったそうです。昔阿部比羅夫が秋田の浦に来て古四王神社をこの地に勧請した時、にわかに霊泉が湧いたので「高清水の岡」と称されたとも伝えられております。
古四王神社からやや西に下った旧羽洲街道沿いに、「高清水」と刻まれた石碑があり、小さなあずまやに守られて、高清水は今なおひそやかに、清らかに湧き出ております。